カガワの自転車
清ちゃんの
オーバーホール日記



第98回

清ちゃんのつぶやき(その81)1990世界選手権



 暑さも少しばかり和らいできたので、押し入れの奥までと思い、お宝を探し始めた。奥まで行かない内に汗が出てきて中断。まだまだ先は遠い。途中、30枚くらいのポスターが出てきた。小型のものも少しあるが、ほとんどが大きめのものである。主にビートルズのものである。レコード屋のおじさんが何か出るたびに気をきかせ、とっておいてくれていたものである。自転車関係もあり、ズートメルクが世界選手権優勝した時のカンバニョロのポスターは2枚あった。



 世界選手権といえば、日本で開催された事を知らない若い人たちも増えている。開催は1990年、今から18年も前の事である。この頃、生まれた子が今、高校生である。いつの間にか時が流れている。場所はトラックが前橋、ロードが宇都宮であった。チームロードは日光への高速道路を通行止めにして行われた。この時のプログラムや写真、記念品もいろいろ持っている。



 この時は半年前から準備した。走るための準備ではない、見るための準備である。トラックは前橋のドームなのでチケットさえ取れれば問題ない。問題はロードである。事前にバイクで4回程、宇都宮に行き、ルートを調べ上げた。選手が走るルートだけでなく、脇道や周囲の道、1万分の1の地図片手に走りに走った。また、観戦ポイントに至るまでの近道やクルマを停めることの出来る道や場所も調べた。この時の手作り地図は観戦に行く周りの人たちの役にたった。



 チームロードも問題だった。個人ロードと違って、高速道路をシャットアウトするために観戦ポイントがない。当日、SAやPAにクルマを停めることのできない場合、そこで働く人のために一般道から入れる道があるはずである。そんな具合に、PA,SAに至る道路、高速を跨ぐ橋も調べた。チームロードを観戦した人はそう多くないと思う。下調べをしたおかげで、我々はPAに入り込んで、当日、ゆっくりと観戦できた。



 個人ロードは思ったより規制が厳しくないという事で、観覧席のチケットを持っていたにも関わらず、コース上に出て観戦した。当日は思ったより多くの観客がいて感動した。ツールドフランスのピレーネやアルプスの峠とまではいかないが、皆、充分、堪能したのではなかろうか。アマチュアの個人ロードではミルコ・グアルディという選手が単独の逃げをうって優勝した。彼の捨てたサコッシュも拾った(今回捜したが見つからなかった)。白でITALIAの文字が入っている。これはお宝である。レース後、これのおかげでイタリアの応援団の人たち(結構、遠い日本へと各国の応援団が来ていた)と観戦できた。



 その年、ミラノのショーに行った。ピナレロのブースに小さなポスターが貼ってあった。ミルコ・グアルディのゴールシーンである。欲しいと言ったが、あまり印刷していなくて、もうないとの返事。ショーの最終日に取りにくるからと勝手に約束した。はたして、最終日、夕方になって行ってみると、きれいに剥がしてとってくれていた。業務用のカタログまでもらった。



 そうそう、目をつけていたホテルに泊まった時、夕食時にアイルランドチームのメンバーとすれ違った。その中にショーン・ケリーがいた。突然、本人を目の前にすると言葉が出てこなかった。握手を求めると、彼が発した言葉が“Oh,boy!”である。しばらくは感動で本当に立ちつくしていた。そんなことを思い出す。他にもいろんなエピソードがあるが、また、別の機会に書くことにしたい。

第99回へ続く...

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