カガワの自転車
清ちゃんの
オーバーホール日記



第332回

清ちゃんのつぶやき(その275)鑑札



 まだまだ冷たい風の日が続いているものの、徐々に春の足音も聞こえるようになってきた。緑川河川敷にも菜の花の黄色がぽつぽつと目立つようになってきている。あと半月はこの寒さを我慢しなければならないようである。それに、店ではそろそろ春需の足音も聞こえてきた。玉名店ではすでに土日に駐車場が一時、満車になるようになってきた。それでも平日は今のところ、夕方を除けばまだ平常状態である。



 さて、修理等をしているといろんな自転車が持ち込まれる。その中に珍しいものを見つけた。鑑札である。今は呼び名を知っている人も少なくなったが、「かんさつ」と呼ぶ。今回は防犯登録章だが、現在は全国ほとんどステッカー方式で、貼るものになっている。周囲を注意して見ると、電柱の工事などでは鑑札は今でも見る事はできるものの、今時、自転車の鑑札は珍しい。眺めていたら何やら懐かしいものを感じた。そう、昔はいろんなものが鑑札だった。



 薄い鉄やアルミの板をプレスで凹凸をつけて加工するものだが、自分自身、最初に得た鑑札が妙に嬉しかったのを思い出した。それは通学許可証だった。中学の時、初めて自転車通学をするようになった。自転車に乗れるようになったのは小学校低学年の頃だったが、自転車そのものは持っていなかった。その後、父親の転勤で各地を転々とするのだが、どこに越してもそうで、自転車を持っている友人は少なかった。長崎市内でも数か所に住んだが、特に自転車を必要とする環境(坂道が多い)でもなかったし、自転車が欲しいと思った事がなかった。



 最初に入学した長崎市内の中学も学校が目と鼻の先で、教室から家が見えている程の距離だった。その後、すぐに引っ越すのだが、それが佐世保郊外の町だった。当初は歩いて通学していたが、歩くには少し遠い、バス通学も少しやった(バス通にも少し興味があった)が、時間を気にしなければならない。街中と違って田舎では自転車通学をしているクラスメイトも数人いた。バスを待つ間や歩いている間に「おはよう!」とか言って駆け抜けていく。



 そんな事が続いていくうちに自転車で通学してみたいと考えるようになった。そこで親に話すと、しばらくして会社の人から譲ってもらったと言って24インチの軽快車を与えられた。中古だったがまだ新しく、これで皆の仲間入りができると思った。この時に学校からもらったのが鑑札である。ぴかぴかの鑑札を後泥除けに自分で取り付けた。なんだか、半分どきどきするような嬉しさがあった。



 最初は自転車で通学すると云う事そのものが嬉しかったが、その後、だんだんと自転車そのものへの興味が湧いてくる。数人の友人が乗るドロップハンドルの外装変速機の自転車に憧れてくるようになった。それが手に入ってからは自転車漬けの人生になってくるのである(笑)。それにしても、いい時代だった。ドロップハンドルも禁止されていなかったし、ヘルメットも要らない時代だった。そう言えば、最近は制帽を被っている学生も見なくなった。鑑札と云う言葉や制帽、それに徽章(きしょう)と云う言葉も死語になってきつつあるのかもしれない。だんだんと入学シーズンが近づいてきている。妙な事を思い出してしまった。



第333回へ続く...

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