カガワの自転車
清ちゃんの
オーバーホール日記




第306回

清ちゃんのつぶやき(その249)日向往還 矢部−馬見原(その2)



 雨で少し増水した川を見ながら橋を渡る。川に沿ってしばらく行くと上り坂になってくる。貫原石橋と云う表示があるがよく分からない。自転車を停めて歩いてみるが見つけられなかった。下方に見えるのがそうなのだろうか?近づけない。あきらめて先に進む。本当はすぐ先に往還があるはずだが、例によって今は通れないところらしく、途中から曲がって往還道に出る。石仏という地名通り、石仏が辻にある。旧街道らしい雰囲気がある。昔は旅籠もあったらしい。更に進んで電波塔の近くに“またがり松”の表示、少し草むらを進むと県道に出る。下りになるが、ここら辺りから地元の小学生達が作った日向往還の標識がある。


石仏の辻


またがり松跡
 小峰の集落を県道を迂回するように進む。昔は相当栄えていたようだが、今はその面影さえもあまり感じられない。分岐を過ぎ、辺り一面すくすくと育っている稲穂が見える。その横に!?季節を間違えた彼岸花が二輪、ポツンと咲いていた。中学校跡(悲しいけれど田舎はどんどん過疎化が進んでいる)から徐々に上りになる。周りは栗林になってくる。坦々と走っていると勾配が緩やかになって分岐点。ちょっと待てよぉ!道標は見つけたものの草に隠れている。その道標の示す矢印!一面の草むらである。もはや、ここまでくると道ではなく、単なる道の跡としか呼べない。こんな所を行くのかい?迷っていても仕方がない。自転車を担ぎながら(押せない!)、腰まである草をかき分けて進んだ。


左 草地が往還


貫原分岐
 苦あれば楽ありではないが、その先でこれまで通ってきた道に突き当たる。ショートカットすればよかった。そして、そこの先にあったのが虎御前と呼ばれる日向往還の景勝地である。小峰尋常小学校跡地と云うのがあって広場になっている。小休止して遠くの蒼い山々を見渡してみる。ふと考えたが、こんな所に小学校があった?山の中、集落はおろか人家なんてずっとなかった、こんな所に?何だか不思議な気もしたが、昔は学校が必要なくらいの小学生がいたのだろう。それだけの人口があったという証でもある。暑いけれど、そこは高原の景色、高原の湿度である。休んでいても気持ちがいい。


出具屋跡


季節外れの彼岸花
 さらに進むと未舗装路の道に分け入る。そのまま走っていると、あれっ?落ち葉かと思ったが違う、少し動いたような気もした。気になって自転車を停めて引き返すと・・・葉っぱではない。よぉく見ると、なんとモグラさんである。体長7、8cm、小さくて可愛い!急に近づくと逃げられそうなので、徐々に近づき、しばらく眺めていた。小さな目を閉じて丸まっている。呼吸はしているが動かないので、側にあった小枝でお尻をつんつんしてみたら草むらに逃げ隠れた。いやあ可愛かった。めったにお目にかかれないものを見た。帰ってから調べたら高原に住む種で小さくても子供ではない。土中の穴でなく草むらで生活しているとあった。


栗の実


夏の山道
 モグラさんとお別れして進むと仮屋という集落に降りる。そこからはまたも上り坂、梅雨の間、約一カ月自転車に乗っていなかったのが効いてくる。這い坂と呼ぶのだそうだ。這って上る程の坂だからかと思いきや、血塗られた歴史がある。詳しくは書かないが、旧街道や往還筋では結構、そんな史実がある。矢部の河原でも斬首の記録がある。中世から江戸にかけて権力争いや飢饉がある度に、多くの人々の血が流れた。それに近世では、日向往還は西南戦争の薩摩軍の敗退路でもあった。そのため、これまでの道でも薩摩軍兵士の墓もあったし、千人塚等もあった。


道標の示す先は?


小学校跡地
 彼らが見る余裕もなかっただろう高原の景色を進んでいくと台地になる。白血が原、意味深な地名の通りの歴史があった。夏の日差しの中の景色に反して不思議な気になる。さて、それから分岐点、坂を一気に下る。下り過ぎて218号線が見えてしまった。いやいや、ここではないと思い、少し引き返すと分岐があった。ここから往還は2つのルートに分かれる。


虎御前


高原の景色


モグラさん

第307回へ続く...

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