カガワの自転車
清ちゃんの
オーバーホール日記



第296回

清ちゃんのつぶやき(その239)日向往還 札の辻−上野(その2)



 あとはイオンモールを横に見て、松前重義生家前を通り、緑川沿いの堤防に出て進む。ぽつんとファミマがあるが、そこら辺が三里木跡のはずだが何もない。その付近をうろうろしたり、散歩しているご老人に聞いたりするが知らないとの事。反対側の土手の途中に御船街道の石標とハゼ並木の説明板を見つけた。推測だが、これが三里木跡だろうと思う。その後は熊延鉄道跡と並行して走る。途中、メロディ橋反対側にひっそりと“右かうさ、左やべ”と自然石を彫った道標がある。“かうさ”は甲佐の事、“やべ”は矢部であり、ここが昔の分岐点だった事が判る。


三里木跡


御船道標
 それにしても、こういったものが道の片隅にでも残っている事が素晴らしい。クルマで通ると全く見えない所にあるが、自転車だとよく分かる。これまでも分岐点毎に、旅の安全を祈願するための小さなお地蔵さんがたくさんあった。そして、それらが荒れていない。今でも、誰かが花を添えたり、掃除をしたりしてくれているのが嬉しい。


御船手前


四里木跡
 御船の町外れを通り木倉へと向かう。途中に四里木跡という新しい碑がある。ここまで熊本から16km、徒歩で4時間かかっていたのである。木倉入口に小さな石橋がある。門前川橋と呼ばれる、狭くて小さな橋だが小さな分だけ工法は少し特殊である。アーチになっている部分に楔の石が埋め込まれている。熊本には石橋がたくさん残っている。東京の日本橋を作ったのも熊本の石工である。興味のある人は調べてみれば楽しいかもしれない。そして写真ではなく、現存するそれらを見る事である。出来た当時の事を思いながら見てみると感慨深いものがあると思う。


門前川橋


軍見坂
 木倉の町を通り抜ける途中から昔の道に曲がる。農道みたいな所を通ると軍見坂に出る。この坂、登り始めから1kmくらいが一番きつい。自動車の修理工場がいくつかある辺りである。それさえ過ぎれば勾配は少し緩くなる。そこを坦々と上る。昔は少し違ったルートとも、元の道を拡張したとも聞くが、それにしても、徒歩や馬車を引いてならきつかっただろうと思う。多分、かってはどこかに水飲み場があったに違いない等と想像する。


五里木跡
 坂が終わりかけ、見通しがよくなりかけた所にあるのが五里木跡、ここで休憩。学校帰りの小学生が「こんにちは」と声をかけていく。いいなぁ、これが田舎の子のよさである。五里木の先、少し行くと“凱旋門”がある。えっ?パリにあるあれ?と思われる方もいるかもしれない。バス停の名も“凱旋門”である。実は和水町にもある。これは日露戦争の勝利凱旋記念のための碑である。明治39年設立の文字が見える。


凱旋門


凱旋門(2)
 「坂の上の雲」の時代、いい意味での大和魂を持った職業軍人の物語である。大東亜戦争(第二次世界大戦)の終わり辺りに国民総玉砕などと言った破れかぶれの軍人達とは違う。貧しい日本が大国ロシアに勝った、その戦争で疲れた兵士が帰ってくる(正確には第六師団が熊本に帰還)。それを迎え入れるための門である。逆に飽田地区などには日露戦争で亡くなった兵士達の慰霊碑もある。個人的に、そのうち、熊本に於ける日露戦争の痕跡や歴史を調べてみようかと思っている。軍都だっただけにいろいろ資料がありそうである。



第297回へ続く...

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