カガワの自転車
清ちゃんの
オーバーホール日記



第295回

清ちゃんのつぶやき(その238)日向往還 札の辻−上野(その1)



 日向往還と云う古道がある。肥後の国(熊本)と日向の国(宮崎)を結ぶ道である。以前から気にはなっていたので、ある程度調べてはいた。往還である。街道と往還、何が違うのかという厳密な規定はない。ただ、街道が公の道とすれば、往還は民の道と言えるのではないだろうか。母親が子供の頃、その祖母から「往還に出たらいかんよ!」と言われていたらしい。今なら「国道に出たら駄目だよ!」と云った具合だと思う。人通りが多く、馬車等が通っていたのだろう。


里程元標


御船口
 街道はその昔、海道であった。平城京を中心として広がる公の道に起因する。それが陸路を通り、街を通過するといった事から街道となる。詳しく書いていると数回分使いそうなので、興味がある人は調べてみると面白いのではないかと思う。要は豊後街道などは参勤交代に使うような江戸に通じる道であり、往還は馬車や商人が行き交うような道である。熊本にはまだ阿蘇に通じる南郷往還も一部残ってはいるが、新しい道が出来、かなりの部分、途中がなくなっている。また、外輪山の原生林を通らなければならないので徒歩でなければならない。自転車ではとてもじゃないが担いでも通れない。


石標


地蔵堂
 少し前置きが長くなったが、こんな事を書いていると、「お前、また豊後街道と同じように宮崎まで行くつもりじゃないの?」などといった声が聞こえてきそうである。宮崎までは行かなくとも熊本県内の馬見原までは行ってみたいと企んでいる。その先は自転車では行けないような山道が続いているらしい(馬見原までもそんな道がありそうだが・・・)。熊本県外に住んでいる人にとっては土地名や土地勘がなく、興味が薄れるだろうが暫し我慢の程をお願いしたい。


旧浜線に合流


一里木跡
 日向往還、起点は豊後街道と同じく、新町の里程元標である。ここから全てが始まる。南に向かって明八橋を通り白川を渡る長六橋へ向かう。新町辺りも最近はシャレた店が少しずつ増えてきている。寂れかけた街が少しずつ変化してきている。長六橋を渡ると旧長六橋付近(昔は少し下流側だった)へ戻る。そして山本釣具店裏に行くと有名な(?)放牛地蔵の所にある、“右みふね、左きやま”と刻まれた石標。ここが御船街道(日向往還)と益城街道の分岐点である。拝んでから進路を右にとる。琴平の方に向かう細い道だが、よく見るとお地蔵さんがいたる所にある。そして白山通りを横切り、路地みたいな所を進み踏切を渡ると旧浜線に出た。そうか、これが旧往還かと変に納得した。けやき通りを横切る手前に一里木跡の表示がある。


東バイパスを越える


農道
 後は旧浜線に沿っていく(要は旧浜線は日向往還を改修したものである)。田迎小学校前を通り、東パイパスに突き当たる。渡ると旧街道と思しき細い道がある。それをひたすら進む。今は忘れ去られたような道で、住んでいる人もここが日向往還とは知らないだろうな等と考える。旧浜線を左に見ながらの走行だが、やがて熊本バスの中の瀬車庫裏に到着する。ところがここで行き止まり。少し引き返して中の瀬橋手前の加瀬川の堤防にでる。そうすると二里木の標、近年、日向往還顕彰会が立てたものでこの先にもいくつかあるはずである。


二里木跡


嘉島入口
 昔の中の瀬橋は今より若干下流にあった。そう思って川をみるとこんもりした木が生えている部分に少しだけ橋脚跡らしきものが見える。橋を渡ると“うなぎのとくなが”前の道が往還である。そうして小学校前を進み、イオンモール横を通る。ふっと思ったが以前に書いた熊延鉄道跡地と重複する。それもそのはず、両者共延岡を目指すのである。違うのは鉄道は甲佐に向かい、砥用を通り、矢部を目指していた。往還は御船の山を通り矢部に向かうのである。ちなみに今、浜線と呼んでいる道、海も無いのに、なぜ浜なのかを知っている人も少ないのではないだろうか?これは矢部の栄えた街、浜町に由来する。そこへ通ずる道、即ち浜線なのである。



第296回へ続く...

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