カガワの自転車
清ちゃんの
オーバーホール日記



第226回

清ちゃんのつぶやき(その179)チャレンジ・サイクル・ロードレース



 長年使っていた洗面具入れを新調した。古い方を見ると1984年のチャレンジ・サイクル・ロードレース(以下チャレサイ)の参加記念品である。27年間使っていた事になる。物持ちがいいというか、自分でも呆れてしまう。本当に長い間使っていたものだと感心する。今もそうだが旅行するのが好きだし、以前の仕事での出張や旅行も多かった。内張りの防水加工のゴムはすっかりなくなり、ただの袋になってしまっていた。



 チャレサイの文字を見て懐かしい感じがした。今は春先にもいろんなレースがあるが、昔はチャレサイがシーズン開幕のレースだった。この時期、皆、チャレサイに向かってのトレーニングを始めていた。今年で36回を迎え、開幕も4月2日と遅い開催になっているチャレサイだが、発足当時は自転車競技の普及のため、登録者の登竜門として未登録の人を集めて細々と開催されていた。ところが年々、参加者が増えいろんなカテゴリーが出来、登録者のレースも併せて催されるようになった。我々も以前勤めていた会社で登録の実業団選手、趣味で楽しむアマチュアの選手と総動員して出かけていた。



 忘れられないレースが1986年にあった。正確に言えばレースがなかったと言った方がいいかもしれない。その日、東京と茨城に分かれていた我々のチームは別々に3グループに分かれて出発しようとしていた。レースが朝から午後にかけてカテゴリー別にあるので午後からの連中は少し遅く、朝からのレースに出場する連中は早朝出発と予定していた。寒い、まだ夜は明けきらない頃に早朝組が出発し、昼前後のレース参加者が会社に揃い始めてさて出発という頃、先発隊から電話が入った。東名箱根あたりで雪が降っているとの事だった。



 先発隊が伊豆CSCに何とか到着した時は吹雪模様になっていた。ひょっとしたら中止になるかもしれないという話も出た。ただ、それまで雨や小雪舞う空模様の時でも、少し時間をずらしながらもチャレサイは開催されていた。今のように携帯電話があればいいが、当時そんなものは誰一人持っていない。ひたすら会社の事務所で彼らからの連絡を待っていた。電話があればすぐに出発する状態で待機していた。



 しばらくして最初のレースがスタートする頃に連絡があり中止が決定したとの事だった。他の連中を帰し、先発隊の帰りを待つもののなかなか帰ってこない。後から分かった事だが、雪で高速も交通止め、一般道を帰るものの、停電で信号機も点かない大渋滞した道路を延々と小田原、横浜と東京に向かって帰ってきていたらしい。帰り着いた時は夜だった。本当に行った連中もそうだが一日中待っているのも疲れた事を思い出す。



 そんな出来事も今となっては懐かしい。とにかく今年も開催されるチャレサイだが、いろんなイベントが中止や廃止となった事業仕分けに引っかからず、今年も無事に開催されることには何か感慨深いものがある。それにしてもこの季節のレース、空気が乾燥して寒いこともあって、ゴール後ぜえぜえ、はあはあが止まらないのはいやだったなぁ。



第227回へ続く...

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