カガワの自転車
清ちゃんの
オーバーホール日記



第203回

清ちゃんのコレクション(その39)コルナゴ・スーパー その4



 長い話になってしまった。いろいろと思い出が詰まっている自転車である。レースに参加しなくても選手の応援にも持って行った。周回コースの時などは上り坂で声援し、自転車でショートカットをして先回り。補給食を渡すと更に先回りして声援等をしていた。レース後、選手同様疲れ果てたことも数知れずあった。時には役員をやっていた。選手のクルマに荷物を預け、自分一人で東京の足立から伊豆のCSCまで走っていった事もある。かれこれ10年近く乗った。もちろんコルナゴばかり乗っていたわけではない。



 その昔、ツーリングの思い出が詰まったキャンピング車は金属疲労でたわみがひどくなり、ふにゃふにゃした乗り心地になって永眠させた。次によく乗ったホルクスはセンタープルキャリパー台座を直付けたりして再塗装。押入れの中で今も休ませている。自転車の価値は使って、使って、使い込んでやっと分かる。何万キロも走っていながらコルナゴに関しては金属疲労のたわみを感じる事はなかった。それに驚くべきことだが、一度も落車がなかった。最初のコルナゴはクルマにぶつかると云う不運があったが、今のコルナゴではない。多分にコントロールのしやすさというのがあったのではないかと思う。



 今でも知人で最新鋭のイタリアンブランドのカンパ・レコードフルセットのロードに乗っているのがいる。試しに乗ってみたいとは思うけれど、欲しいとは思わない。自転車にはそれに乗るのにふさわしい体力やテクニックが必要である。体力がなくなったのにプロ仕様の自転車では疲れてしまう。そんなことから今乗っているロードもそこそこのものだし、最近ではご存じの通りランドナーで走っている。ロードもハンドルが少しずつ、サドルの高さに近づいてきている。上りで掛け合う相手もいないし、昔の体力はない。やはり、その年齢や体力に応じた自転車、分相応な自転車というものがある。



 もし、今コルナゴを買うならアルテくらい、いやマスターXライトかな?それでも台湾製はやっぱりいやだなとも正直、思う。確かに同国の技術や品質は向上した。それを認めてコルナゴも台湾メイドになってきたのだろう。ただ、昔のモノにはイタリアンの職人魂があった。パイプの溶接前にもピンを打ってある。ハンガーから覗くとピン打ちがしてあるのが見える。フォークコラムもそうである。ピン打ちしたフレームを真っ赤に焼いてロー付けする。日本の溶接の仕方とはずいぶん異なる。これがいい悪いは別として、これがフレームの硬さ等に繋がっていたと思う。ヨーロッパのプロ選手が要求したフレームの強度を得る方法だったと考える。そんな時代のコルナゴである。



 ほんの数十年前、欧州には素晴らしいフレームを作る職人がたくさんいた。フランスやイタリアは有名だが、イギリスやドイツにもいた。イタリアでもコルナゴ以前にはチネリやビアンキを初めとしていくつかのフレームが輸入されていた。その他にも本当にたくさんの工房があった。イタリア在住のフォトグラファー、砂田弓弦君が数年前、「イタリアの自転車工房物語」という本を出版した。中にはもうじき廃業すると言った所もある。そんな危機感からの出版だったと記している。49の工房を紹介しているが今、何軒残っているだろうか?



 日本でも同様な事が起こっている。ランドナーやクロモリブームでもう一度乗りたいと思っても、作ってくれる工房がなくなってきている。主だったところでは納期1年というのが現状である。ロボットでTIG溶接したフレームよりは、作ってくれた職人さん達の味が残る、そんなフレームが欲しいと思っても、今はなかなか難しい。今回のコルナゴ、まだそんな味がしている頃のものである。本当に出会えてよかったと思える、そんな1台である。
(完)



第204回へ続く...

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