カガワの自転車
清ちゃんの
オーバーホール日記



第197回

清ちゃんのつぶやき(その156)アナトミック



 やっと、梅雨が明けたと思った途端、猛暑日の連続である。これから数ヶ月、熊本の暑い、暑い夏と戦わなければならない。梅雨が明け、走ろうと思っていた人も躊躇しているような日々が続いている。



 ところで、世の中、人間工学に基づいたという商品が氾濫している。自転車の世界に於いても例外ではない。ハンドルバーやサドル、ブレーキレバー、グリップといった直接体に触れるパーツがその対象となる。自分でもいろいろ使ってもいる。ただ、このところ、自分の中で少し認識が変化してきた。というのもランドナーに乗り始めてからである。



 ランドナーではバーは日東の#55、サドルはサンマルコ・ロールス、ブレーキレバーは昔のカンパ・スーパーレコードといった構成になっている。ハンドルバーなんて極普通のラウンド形状である。ランドナーならランドナーバーだろうと言う人もいるかもしれない。実は個人的にはランドナーバーがあまり好きではなかった。理由は簡単、バーの上部が両方共上げてあるだけだが、そのせいで掌を当てる走行ではいいが、フェルール近くを持つ時に持ちにくいからである。ある意味、元祖アナトミック・ハンドルと呼べるかもしれない。



 長距離を走っていると無意識の内に上半身を動かしている。現在、ロードではアナトミックハンドルを使っているが、三か所のポジションを握る場合には本当に具合がいい。ところが実際、長い上り坂などではそこ以外の場所も握るのである。バーの下部にしても、疲れてくると微妙に先端に近い部分を握ろうとする。そんな時に何か違和感を感じる時がある。それに気が付いたのはランドナーに乗ってからである。どこでも、どんな方向からでも握れるラウンドバーの良さに気がついた。



 サドルにも同様ことが言える。ある位置に座っている時には非常に快適なのだが、ハンドル同様、長い上りなどで、ほんのわずか腰を引いたり、前座りしたまま乗り続ける時には不便である。これに対しランドナーだが、アナトミックなどは考えていないパーツである。ところが乗っていて、そのような状況になった時に妙な違和感がないのである。逆に言えばどこを持っても、どこに座ってもそこそこなのだが、そのいい加減さが良さにもなる。



 ブレーキレバーも同様、昔のレバーの細身なところは魅力である。デュアルコントロールレバーも使っている。ある特定の部分を握るには握りやすいが、ハンドルバーと同様である。何かしら近年のモノには妙な違和感を覚える事が多い。サングラス(スポーツサングラスではない)にしても、かつてはレイバンのようにガラスレンズだった。それがプラスチックレンズになっていく。はっきり見えるのはいいのだけれど見えすぎる事に疲れる事もある。近視のメガネを長年かけている知人と話していたら、プラスチックレンズは何かモノを見つめる時はいいが、ガラスのものに比べると疲れてしまう等と述べていた。



 母親が今年になってTVを買い替えた。液晶の画面はくっきり見えていいのだが、何かしら疲れる。アナログのブラウン管に慣れていたせいだろうか、自転車の部品にしても”(今では死語だが)ファジー”なものを残しておいてもいいような気がする。昔のものが良いとは言わないが、昔の良さ、そんな味を残している、それが本当の人間工学というものなのかもしれない。



第198回へ続く...

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