カガワの自転車
清ちゃんの
オーバーホール日記



第153回

清ちゃんのつぷやき(その115)地球環境



 この夏、自転車で走っていて気がついたこと、それはメインの国道等では木陰が少なくなってきていることである。道路改修やバイパスができたりして、走るのには便利になってきているのだが、いざ、休憩しようとすると適当な場所がない。コンビニの建物の横では陰でも暑い。やはり木の陰の方が涼しさが増す。昔、休んでいた場所もアスファルトで固められ、木が切られ面影が残っていない。たまに木陰があっても、そこに車が何台か停まり、エンジンをかけている。エンジンの熱と排気ガスの横では休む気にもならない。



 温暖化も我々、自転車乗りは一般の人たちに比べ、より感じることができる。昔に比べ何か受ける日射しも違ってきている。通るクルマもそうである。昔はエアコン付のクルマは少なかった。その代わり、フロントに三角窓(知ってますか?)がついていて、充分用が足りていた。クルマの数も今ほどに多くなかった。自転車で走るのにも道路は悪かったが、快適だった。若さのせいもあったと思う。



 さて、熊本市でも家庭ゴミが有料化される。レジ袋もだんだんと有料化してきている。たしかに街で数店廻って買い物をすると袋だらけになってしまう。たまにはとっておきたい袋もあるが、大半は捨ててしまう。考えてみれば無駄なものである。袋と言えば自転車店で部品等を入れてくれるところは多くなかった。80年代に入ってから国内では問屋やメーカーが作った名前入りのものが出回ってきた。海外では店名入りの袋が多かったような気がする。ただ、日本みたいにビニール袋ではなく、紙等の燃やせるものが大半だった。



 今でこそエコ、エコと叫ばれているが、ヨーロッパでは昔からそれらの点は考慮されていたと思える。ホテルでは高級ホテルと言えども、トイレットペーパーは茶色の再生紙だった。日本人観光客が多く行くホテルではクレームが相次ぎ、白色のバージンペーパーになったという、笑えないような話も聞いた。スーパーマーケットを覗いてみても、パック入りの卵一つ、違っていた。日本では透明樹脂のパックだが、ヨーロッパでは再生ボール紙を固めたようなパックである。このような事例は他にもたくさんある。



 自転車もそれらの部品も製造メーカーは改めて考える必要があるのではないだろうか?スプリング一つ折れただけで、交換が出来ずに捨ててしまわれるような部品、そんなものが身の回りには多く見受けられる。自転車一台の中にもアルミや鉄、樹脂やコ゜ム、様々な材質のものが使われている。しばらく前、”hearth”(ハートとアースを組み合わせた造語)というコンセプトで国内メーカーが協力しあって自転車を作ろうという動きがあったが、立ち消えていった。



 使う我々にも責任がある。まだ使えるものでも捨ててしまったりする。また、仕事上でも修理で交換した部品は捨てている。新車購入時に、お客さんが要らないといった自転車の処分も受ける。中にはまだ乗れるものもあり、もったいないと思っても処分せざるを得ない時もある。購入数日でクルマとぶつかりフレームが曲がった自転車というのもある。後半分の部品等は新品である。これらが、そのまま処分業者のクルマに載せられていく。自転車専門の解体屋さんというのは聞いたことがない。自分が使っていた自転車やパーツ、一体、捨てた後、どのようにエコされているのか興味はありませんか?

第154回へ続く...

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