カガワの自転車
清ちゃんの
オーバーホール日記



第128回

清ちゃんのつぶやき(その99)アフターパーツ(2)



 ブレーキの残骸がいくつか出てきた。壊れたものでもスペアパーツとして使えるのではないかと思い、とってある。昔は実際、よく利用していた。ロードレーサー2台、他にキャンピング、スポルティーフ、小径スポーツ車と持っていた頃は毎週、気が狂ったくらいに乗っていた。当然、乗れば部品は消耗したり、壊れたりする。ちょっとしたねじ一個でも、なければ機能しない。買いに行くのは面倒だし、お金がかかる。そんな時、壊れた部品からねじやスプリング等を取って使うわけである。二個一や三個一は当たり前である。



 歳を重ね、仕事が忙しくなると、だんだん乗る時間が少なくなる。逆に自転車の台数は増えてくるから、一台に乗る時間は少なくなる。当然、トラブルにあう回数も少なくなってくる。そんなことからいつしか壊れたパーツも溜まってくるようになった。考えてみれば、昔はねじ一個、スプリング一個でも売っていたよなあ等と思ってしまう。今でもあるではないかと言われる方もおられるかと思うが、某社のパーツリストには確かに細かく載っている。ただ、欠品や製造中止ということで入手できない場合も多い。



 細かい部分がユニット化してしまった事もある。モデルチェンジが頻繁にあることも原因の一つだと思われる。メーカーだって製造中止してしまったパーツをいつまでも持っていても仕方がない。いつ売れていくのか分からないものを手元に置いていても在庫管理が大変である。ねじ一個の利益なんて、たかが知れている。メーカーによって、また部品によって、その在庫年数が決められている。3年、5年、7年、ものによっては10年というのもある。10年というのは行き過ぎかもしれないが、作られて3年、5年というのがユーザーにとっては一番トラブルの出てくる年数ではある。



 メーカーの製造責任ということがある。製造した製品に対し、簡単に壊れないこと、ちゃんと機能すること等、ちゃんとしたものを作りましたよ、その製品に責任を負いますよというのが製造責任である。これを証明するのが保証書である。片や、販売責任というのもある。メーカーの意図した使い方を小売店やユーザーに説明して販売したか等の売るうえでの責任である。取扱説明書が販売責任の一部を担う。この販売責任の中にアフターパーツもある。販売した製品に対し、使用していて壊れた時、その部分を提供できるようにしておくことではあるが、その責任度合いは低い。ある意味、アフターサービスに近い。



 ものは使っていれば当然傷む。ただ、傷んだ時に傷んだ部分だけを交換して使い続けるのか買換えするか?状況や本人の考え方もあると思う。ただ、傷んだ部分だけを入手できるかどうか、メーカーがどこまで供給してくれるのかどうかも判断材料になる。売りっぱなしのメーカーというのは少ないかもしれないが、その考えに近いメーカーもある。完成車、部品に限らず、そのメーカーがどこまでユーザーの立場にたって考えていてくれるかが重要になってくる。

第129回へ続く...

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