カガワの自転車
清ちゃんの
オーバーホール日記



第58回

清ちゃんのつぶやき(その46)トモダ



 20数年前のロードレーサーのオーバーホール依頼があった。掃除後、輸行袋に入れての保管だったせいもあり、状態もいい。フレームはズノウ、メインコンポはアラベスクパターンのシマノ600である。組み方がいいので、よく見ると神奈川県のAサイクルである。学生の頃、相模原に住んでいた事もあり、一度行ったことがある。印象は良かった。オーナーの方も話されていたが、今はどうなされておられるのだろうか。



 昔、いい自転車を組まれていた方々も、それなりに年をとられ、閉店されたり、店を売ったり、子息に店を譲ったりとされている。今のようにスポーツ車を取り扱うショップが多くなかった頃、一時代を築かれた方々である。もちろん未だ現役ばりばりの方もおられるが少なくなってきた。



 その中で個人的に忘れられないショップの一つが、大阪にあるトモダである。実名を出して申し訳ないが、どうしても書きたかった。店を訪れたことは3度ほどしかない。もう30年以上も前の話になるが、スポーツ車を扱っている自転車店は少なかった。大都市は別にして、一つの県に2,3というところだったろうか。更に田舎に住んでいると自転車パーツ一つにしても遠くまで買いに行かねばならないし、行っても欲しいものがなかったりという事も多かった。



 そんな時に助かったのが通信販売である。当時、通信販売をやっているところは多くなかった。そんな頃からトモダは力を入れてやっていた。これには本当に助かった。当初は「内外パーツリスト」という、品名と価格を書いただけのものだったが、写真入りの「トモダパーツカタログ」を作った。今では雑誌社が出版していたりするが、当時、たった一個人商店が作るのには大変な努力が必要だったに違いない。これはユーザーのみならず、各地の小売店にもよく置いてあり、価格等の参考書としても使われていた。



 関東に住むようになってからは通信販売を利用することもなくなり、いろんなショップに行くようになった。ところが、10年以上前、国際ロードの大阪大会に出場する選手を連れてK君と行った時の事、選手を堺の宿舎におろし、我々は大阪市内に行こうとした時、背後から「ボトルを忘れた!」の声。何とかするから、心配しないでゆっくり眠れと言い渡して大阪市内に向かった。時間は夜の8時頃、今時開いているショップはないだろうかと考えた時、トモダを思い出した。



 着いた時には店を閉められる途中だった。明日の国際ロードのために来て、選手のボトルが欲しいと言うと快く応対して頂いた。いろいろ話をして、帰り際、二人にトモダの手帳をみやげにと渡された。車の中で、たかだかボトル数本でこんなものをもらって、ボトルの利益なんて帳消しになるよなぁ等と話した。そういえば、通信販売を利用していた頃も頼んだ商品の他にちょっとしたステッカーが入っていたりしていた。



 しばらく前からトモダの雑誌広告にご主人のイラストが見られなくなった。妙に心配になり、電話をした事がある。目を悪くして、描いてはいないが、店にも時々出てきて、元気にしていますということで安心した。友田氏はこちらの事など全く覚えておられないと思うが、こちらは忘れることはない。商売人は損して得しろというが、氏のやってこられた事はまさしくそれである。心の中に残る店の一つである。いつまでもお元気で店に立ってもらいたいものである。

第59回へ続く...

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