カガワの自転車
清ちゃんの
オーバーホール日記



第57回

清ちゃんのコレクション(その9)カンパニョロ・スポーツマン



 カンパニョロ製品で最初に使ったものは?と聞かれた。答えはスポーツマンである。意識して購入したものではない。自転車に組み込まれていたものである。当初、誰でもそうだったようにツーリングばかりしていた。自分の力でどこにでも行くことができる。自転車はいつしか、ランドナーからキャンピング車になっていた。



 この頃、出入りしていた自転車屋で学校は違うが、同じ歳の学生と出会う。彼が乗っていたのがロードレーサーだった。彼は翌年開催される国体のための強化選手だった。自転車屋で時々、話をするようになった。そのうちに自転車に乗せてもらったりするようになった。キャンピングの太いタイヤと違って、踏み込んだ力がダイレクトに前に行く力に変わる、そんな細いタイヤの魅力を味わった。



 国体の時は授業が休みだったのでピスト、ロードと連日観戦に行った。自転車競技の面白さも知った。その後、彼とは自転車屋でも見かけなくなった。翌年、街で偶然出会う。国体の後は自転車に乗っていないと言う。話をしている内に彼の乗っていた自転車を買う事になった。数日後、彼の家に行き、ライトもない自転車で夜道を乗って帰った。



 ブランドはフジ、自転車屋がフジを取り扱っていたのでキャンピング車もフジだった。キャンピング車にはサンプレックスが付いていた。買った自転車に付いていたのがスポーツマンだった。カンパニョロという名前は知っていたが、実際に使うのは初めてだった。性能がいいとはお世辞にも言えないが、そのスマートな外観は細いタイヤと相まって、速そう、軽そうというイメージを醸し出していた。



 この頃、国産ではサンツアーがコンペティション(ツーリング用にはグランプリ)を出していた。使っている人も数人いたが、割と早くパンタグラフ部にガタが出てくるという話をよく聞いたし、実際、ガタが出て、捨てられているディレーラーも見かけた。その点、スポーツマンの方が耐久性に関してはまだましだった。練習や競技に使われていて、鉄プーリーはチェンの形に減ってきているものの、パンタグラフ部にはガタがなかった。



 この頃のカンパニョロは高級ものと廉価ものの差が激しかった。高級ものはレコード、グランプリとあり、下がスポーツマンやバレンチノだった。中間が全くない。ただ、高級ものは重たかった。今になって構造や作りを見れば納得できるが、ずしりとくる。その点、廉価ものは材質、構造のおかげで軽かった。その後、ヌーボレコードができるとディレーラーもアルミの時代を迎える事になる。

第58回へ続く...

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