カガワの自転車
清ちゃんの
オーバーホール日記



第311回

清ちゃんのつぶやき(その254)オタク



 何の世界にもオタクと呼ばれる人達がいる。自転車の世界にもご多分にもれず各種のオタクがいる。昔からいたのだが、オタクという名称ではなく、マニアとか愛好家といった表現をなされていた。それでも今も昔も中身はさほど変わっていない。オタクも軽度のものから重症のものまで様々、自転車(完成車)を収集する、部品を収集する、部品の中でもディレーラーだけをメインに収集する人、本当にさまざまである。メカオタクも多い。シマノで互換性がないと謳っているのに組み合わせられないか等と工夫して、作り上げたりする。また、シマノとカンパを組み合わせてシマニョーロを完成させたりする。シフトレバー(ブレーキレバー)を分解し、改造するなんてメカオタクの境地ではなかろうか。



 もちろん、自宅でこそこそ(?)と自転車や部品をいじっているだけでなく、走りオタクというのもいる。実走派の中では峠だけにこだわる人なんかもいたりする。知り合いにこのような人がいて、走破した峠の克明なノートを見せてもらった事がある。峠の由来から始まり、勾配や近くの町までの距離や高度等がぎっしり書いてあった。この人、休日の度にどこかの峠へ出かけていた。



 以前の会社では自転車のパーツを作っていた事もあり、自転車好きが結構いた。特に大阪にはオタクが多かった(笑)。自宅を作るのに自転車専用ルームを設けていたり、ある種の部品だけをコレクションしたりとこだわっている人達が何人もいた。ただ、皆、陽気で健全なオタクだった。



 さて、オタクも一人で楽しんでいる分には全く関係ないのだが、これらがグループを作ると、時にはとんでもない集団ができてしまうことがある。単に気の合った人達だけで楽しんでいるだけならいいのだが、他の人達を否定する、排他的になってしまう集団になってしまう事だってある。所謂“トーエイ オタク”だの“ルネルス オタク”、“昔のカンパ オタク”などである。確かにトーエイやルネルスも、昔のカンパもいい、自分でもトーエイは他ブランドを含め十台程所有したし、古いカンパの部品も多数持っている。



 ただ、トーエイ以外の自転車は二流品だの、また、ルネルスが最上のものでトーエイはそれのコピーだなどと平然と言い放つような集団が本当にあった。実は昔、このような集団のミーティングに一度だけ呼ばれた事があった。行ってみると、何と言うか、まあ想像を絶する発言が飛び出す。自分達の信じるもの以外は異教徒である、まるで宗教みたいなものである。自分達は一般サイクリストとは違うといった妙なエリート意識さえあり、一生懸命走っているツーリストが安い自転車に乗っていようものなら、同じ休憩地点でも挨拶もしないといったような、そんな連中だった。



 それ以来、そのような集会には二度と行かなくなったが、ランドナーなどが一時期衰退していったのはMTBの台頭とかの問題もあったが、そのような一部、凝り固まったような連中がいたからかもしれない。つまり、新しいモノ(自転車や部品等)を受け入れきれない、昔の製品にばかり執着してしまう少数派のせいだったかもしれない。実はその頃、自分自身もこういった連中のいるツーリングの世界に嫌気がさし、レースの世界(ホビーレースや役員)の方に重きをおいていった。今また、ツーリングやランドナーというものが復活してきたのは、このような連中が、年月を経て消えていったからかもしれないと思う時がある。



 自転車好きが高じて何か特定の方向に行ってしまうのがオタクであるなら、それもよし、ただ、他のオタクも認めてあげよう。否定する事からは何も生まれてこない。ランドナーやスポルティーフがその時、その時の新しいパーツで出来ていたなら、今、どんな形になっていたのか、ひょっとしたらブルベ用のスタンダード車ができていたかもしれない。そんな事を想像していた時にふと昔のオタクを思い出してしまった。



第312回へ続く...

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