カガワの自転車
清ちゃんの
オーバーホール日記



第221回

清ちゃんのつぶやき(その174)年の初め



 新年から1週間、どのようなお正月を迎えられましたか?熊本はと言えば暮れから正月にかけて雪や霙と天気が悪く、初日の出どころの話ではなかった。行きつけの南阿蘇の地獄温泉からも元旦にメールが届き、大晦日からの雪で高速道路が止まり、キャンセル客が相次いだ、料金を割り引くので泊まりに来ないかという内容であった。いつもこの季節、宿泊客でごったがえする人気旅館でさえ、そんな有様である。雪を見ながら温泉に浸かるのも憧れたが、生憎、2日から仕事だったので諦めた。



 大晦日は天気が悪くクルマやバイクの掃除もできず、少し買い物に出かけただけで夕方から家で本を読んでいた。師走になって日向往還の本や熊本市の歴史本、それに新刊の季刊誌シクロツーリスト”ランドナーのすべて”という本も買っておいた。最後のこの本、表紙を見る限り大したことのない、これまで出たランドナー本と同じような内容のものと思っていた(そう思ってでも買ってしまう自分が悲しい)。自転車に乗れないようなお姉さんとベロクラフト組みらくしないランドナーが写っている。選択を間違ったシートピラー、違和感のある位置にあるギドネット用のグリップ(ハンドレスト)、前が浮き気味のフロントキュリア等を付けたちょっとバランスの悪いランドナーが表紙である。正直、期待はしていなかった。



 ところがどっこい、東叡社の歴史やら、鳥山新一のルネルスだの同氏のインタビューなどが数ページにわたって載っていて、なかなか読みこたえのある内容だった。正直言って、氏がまだ生存されていたとは知らなかった。帝大(現;東大)医学部出身だけあって健康には留意されているのだろう。名前を知らないという人も今は多いと思うが、日本の戦後スポーツ車関係の基礎を築いた人と言っても過言ではない。車種体系や自転車そのものの設計、それに自転車を取り巻く環境、多方面にわたり尽力された。



 私自身、様々なJCA関係の講習会、研修会で何度も講義を聞いた。こちらの疑問やら質問にも納得できる回答をもらったりしていた。ある意味、今の自転車生活の肥やしになっていると思う。元海軍軍医というだけあって、話し方もてきぱきしていた。場合によっては高飛車なその話し方が苦手という人もいたが、自分としては頭の良い人だなあという印象を持っていた。東叡社の歴史の方も興味深く読んだ。浦和にあった頃はよく行っていた。勤めていた会社と上尾にあるブリヂストンとの間にあったのでオーダーをしていない時でも時間がある時に顔を出していた。H氏には作ったり、修正したりする現場をいろいろ見せてもらった事を思い出す。



 暮れから正月にかけてそんな事をしている内に昔の事も思い出してきた。今、我々が売っている自転車、戦後からでも60年以上の長い歴史の延長線上にある事を認識させられた。今後どうなっていくのか分からないが材料や製造方法などの技術は日々進歩してきている。まだまだ進化していく要素はたくさんある。ある意味楽しみな事でもある。それでも基本は自転車に乗る側にある。乗る人の要素が具現化する。それが新製品である。この寒い中、走っている人達も多い。本当に走るのが好きな人達、そんな人達のために2011年も新しい製品が発表されていくのではなかろうか。



第222回へ続く...

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