カガワの自転車
清ちゃんの
オーバーホール日記



第160回

清ちゃんのつぶやき(その121)アトム66



 昔、昔のフリーホィルが出てきた。アトム66と箱に書いてある。多分1966年に発表されたものであろうか?発表年を製品につけるというのは珍しいことではない。カンパの980ディレーラーも1980年という年に出てきた。マイクロソフトのウィンドウズ98だってそうである。話をフリーホィルに戻すが、このアトム、一番最初にオーダーしたホルクスに付けていた。ラチェットの音が鈴虫の鳴くような音で非常に気に入っていた。専用のフリー抜きが必要なのは面倒だった。これを見ていたら急に昔話を書きたくなった。



 商品名はアトムだが、製造メーカー名はマイヨールである。マイヨールはフリーやハブを作っていた。ハブはアトムとノルマンディーのブランドを持っていた。アトムがスモールフランジ、ノルマンディーがラージフランジだった。アルミのハブは当時、そんなに多くなかった。後は国産で三光舎等数社が作っていた。フランジだけがアルミというのもあった。カンパもあったが写真でしか見た事はなかった。桁外れに高いものだと思っていた。



 マイヨールは後に普及品から高級品まで取りそろえるようなメーカーになっていく。この頃のカタログ、どこかに所有しているのだが、いまだに出てこない。シマノやサンツアーといった総合部品メーカーもフリーホィルから発展していったので、マイヨールもそうなっていってもよかったのだが、当時は変速機メーカーであるサンプレックスの力が強く、主導権はとれなかった。後にサンプレックス、ストロングライト等と組んでグループを作るものの、同一ブランドで出すことなく次第に廃れていった。



 この点、サンツアーと似ている。サンツアーもシュパーブ等の名でコンポを出していたが、所詮、チェンホィル、ペダル、ブレーキといった専門メーカーの寄せ集め、自社製造のシマノとは戦えなかった。やはり一つの会社で全てを製造するというのが販売としてもやりやすい。1万セット買うから安くしてくれと言われても、寄せ集めメーカーだとそれぞれの会社の利益分を確保しなければならない。ところが1社だとブレーキは損をしてもいいからその他の部品で総合的な利益を確保すればいいといった発想も出てくるし、実際、シマノもそんなことをやって伸びていった。



 フランスではそれぞれのメーカーの個性が強く総合部品メーカーは難しかった。ただ、マビックがそれを成し遂げようとしていた。最初のコンポには仕事の都合で協力した。当時の社長はカンパや新興勢力のシマノに対抗するものをと構想を練っていた。後に出てきた最初の電動変速機の構想もその頃からあったと思う。ただ、惜しむらくはその社長は事故で亡くなったことである。



 40年も経過したフリーホィルを眺めていると、その頃走った道やクラブメンバー、いろんな事を思い出す。衰退していった部品メーカー、その後ドイツのザックス(SACHS)に吸収されたりして、一時は別な形で復活するかと思われたフランスの部品メーカーの流れ等も思い出される。普段、何気なく使っている現在のスプロケットやフリーホィルも、あと何十年後、そんなことを思い出させてくれるのだろうか?

第161回へ続く...

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