カガワの自転車
清ちゃんの
オーバーホール日記



第144回

清ちゃんのコレクション(その32)替歯



 十数枚の替歯が出てきた。カンパのものは別の箱に入れているので、カンパ以外のスギノやジピアミ、SRのものである。ツーリング用の5アームのものや3アームの歯もある。この歯を眺めていたら、自分自身の車歴を思い出してきた。今では信じられないが、初めてのロードレーサーは51×47というギヤが付いていた。リヤのトップが14Tでローが21Tだった。これは世界的にも標準で、ヨーロッパのプロ選手がトップ13Tを使っている話を聞く程度だった。こんなギヤ比で佐世保の弓張岳に毎日のように上っていた。



 この頃のロードレースでは集団でゴールを通過するといった光景が多かった。これは日本でも欧州でも同じだった。そこで集団ゴールをなくすため、途中で弱い選手を振るい落とす目的で、だんだんときつい長い上り坂や複雑な上りのコーナーを加えたコースレイアウトに変化していくようになった。そこで52×45といったフロントギヤが標準になってくる。そして、更にきつい上りが加わることによって52×42となり、これが長い間、標準となってきた。伊豆のCSCもこのレース形態が変化する1970年頃に作られた。



 それでも13%の坂が続かないコースでは52×42ではなく、52×44とか53×45といった歯を用意して臨んでいたし、ヒルクライムでは50×42といったギヤ比にしていた。ところが、アウターの歯数を変えるということはフロントディレーラーもいじらなければならない。これが非常に面倒だった。考えた上に用意したものは後車輪である。フリーの歯数をワイドやクロスと変えたものを数セット用意していれば済む。リムもレシオに合わせて軽量なものや少し丈夫なものと、一時期はホィールセットだけでも5つくらい部屋にごろごろしていた。


ツーリング用3ピン
 この頃からである。ほとんど替歯を使わなくなったのは・・・。カンパも時代に合わせてコルサレコードからPCDを変えてきた。この頃から自分でも39Tを使うようになってきた。最近は体力も衰え、コンパクトドライブやトリプルが欲しくなってきたし、実際、一台はトリプルにしている。熊本に来た頃は俵山や矢部・蘇陽方面にもインナー42Tで平気で行っていたのに、今や39Tでもきつい。ちなみにこの39T、シマノがジュラエースを発表した頃から継続してきているが、当時のトゥークリップ、ストラップをつけた状態のペダルをクランクに付けたままでギヤ板を交換できる一つの限度のPCDである。今はビンディングペダルが主なのでもっと小さなPCDでも問題にはならない。


高木
 それにしても、現在、アウター、インナーと組み合わせが決まっている。たまに冗談半分で違うギヤ板を組み合わせてみると、それなりに変速はするものの。決まった組み合わせのものよりも性能は今一つといった状況になる場合がある。それを支えるフロントディレーラーの性能もよくなってきた。時代の変化を感じる時である。



 今回出てきた替歯の中にピスト用のものがある。高木のものだが、鉄製である。もちろんクランクも専用ハンガーもある。先輩からもらったものだが、一枚の重さがずしりとくる。少し使っていた頃もある。昔の選手はよくこんなものを使っていたなぁ等と今になって感心する。最後に一つ、昔のギヤ板の歯数表示、必ず5ピンの間にある。この部分をクランク下になるようにセットして使う。相手に使っている歯数を見られないための工夫である。

第145回へ続く...

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