カガワの自転車
清ちゃんの
オーバーホール日記



第246回

清ちゃんのつぶやき(その195)軽快車



 「軽快車」という車種分類がある。現在JISでは「シティサイクル」という名称になっているが、数年前までは26インチ以上のごく一般的な自転車を「軽快車」と分類してあった。この軽快車、以前は違った。実用車(運搬車等)に比較して、軽くできているものという具合に使われていた。実用車が大きい後荷台や頑丈なスタンドを装備しているのに加え、タイヤもBE(分からないだろうなぁ・・耳付きタイヤって)を使っていた。これに対し、少し小型のプレスの荷台、一般的な両足スタンドそれにWOタイヤを履いて走りを軽快にしたのが軽快車だった。



 自転車が運搬を目的にした時代から、通勤・通学に、またレジャーを目的としたものに変化していった時代があった。運搬はトラックに任せ、自転車をスポーツの一部にして楽しもうという気運があった戦後の第一次サイクリングブームの頃から徐々に軽快車は出始めた。今、見ると全然軽快ではないのだが、当時としては画期的と呼べるくらいに新しいものに映ったようだ。この軽快車、10年くらい前までは手を変え、品を変え生き残っていた。



 前置きが長くなったが、今回の話はその軽快車の修理である。持ち込まれた理由は走れるようにしてほしいと云うものである。走れなくなった理由は後ろハブの割れである。見れば当時としてはすごい事にアルミハブが使われている。ただ、相当に古いし、費用もかかる。ボルト・ナット類をなめてしまったら互換性のない部品だってある。その意味ではリスクを伴う。



 普通の自転車屋なら断るか、買い替えを勧めるかである。我々も当初は買い替えを勧めた。後車輪が無事外せるか、外して直したとしても他の部分は痛んでいる。高額な修理費を払ってもすぐに他の部分が駄目になる可能性だってある。それらを説明し、納得して頂いてから修理を受けた。ある意味、とにかく乗りたいと云うオーナーの熱意に負けた。確かに何十年も乗り続けていると愛着も湧く、今の自転車にはない乗り心地というものもある。



 メーカーはミヤタ、ニードルアサヒと云うデカールがシートチューブとチェンケースに貼ってある。他にはコッターレスやステンレスの文字も各所に見られる。それまでの軽快車との差別化を図るため、ステンレス部品を多用し、BBをニードルベアリング、軽合金のコッターレスクランクを採用したものになっている。ハブも珍しいサンシンの一般車用アルミハブであった。



 ニードルベアリングのアサヒと云うのはベアリングで有名な旭精工製だと思われる。今回の依頼はオーバーホールではないのでBBは外していないが、何十年も経った現在でもガタがない。ある意味、すごい事である。凝ったヘッドマークや前泥除けのギヤエムのか風切りが時代を物語っている。部品の製年記号から推測していくと1970年(昭和45年)か1976年(昭和51年)のものと思われる。当然オーナーの方は覚えておられないが、いろいろ考察していくと後者(1976年)製ではないかと云う結論に至った。



 ハブの交換が修理のメインだが、代わりのハブ、これがないのである。フリーホイルにハンドブレーキの両切りハブ、これが市場になくなっている。結局、台湾か中国製の安い鉄ハブしか入手できなかった。前の車輪を分解しリムだけにすると何と懐かしいウカイのステンレスリム、錆取りクリームで軽く拭くだけで面白いように光る。流石、メイドインジャパンである。これは泥除けやハンドルも同様である。18−8ステンレスのすごさ(一部18ステンレス)が判る。ドラムブレーキ外側はアルミ製だが、材質やアルマイトの良さが30年以上の時間を蘇らせる。



 チェンライン、フリーホィル(何と333マークのシマノ製!)の厚みと昔と今では規格が違う。そんな事に苦労しながらも預かって1週間程で完成した(梅雨の時期というのもあって意外と進んだ)。修理したのは後車輪だけだが、全体的な清掃もやった。電話すると娘さんの軽自動車で来店され、店前の駐車場で試乗された。降りて一言、深々と頭を下げて「ありがとうございました」。あわててこちらも頭を下げる。感動されているのが伝わってきた。その後、娘さんを一人帰し、意気揚々と自転車に乗って帰られた。引き受けてよかったなと感じた修理であった。



第247回へ続く...

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